田村順子さんといえば、芸能界まで影響を与えた銀座の女帝です。

今でも伝説が語り継がれる「クラブ順子」にて、若い頃から現在まで40年間、銀座の街を生きたママなのです。

今日は田村順子さんの若い頃からなどについて書いてみたいと思います。

田村順子の若い頃。ママになる前は日本楽器をクビになった過去

田村順子さんはママになる前、22歳の頃に日本楽器の銀座支店に勤めていました。

当時から美人だった田村さんですが、当然、モテモテでした。

日本楽器では美人受付嬢として有名だったみたいですが、ある時にユニークな理由でクビになってしまいます。

それは、ニチガクの受付嬢に可愛い子がいるということが、銀座中で噂になってしまい、会社に連日、男性たちからデートのお誘いの電話くるようになってしまったことです。

そのため、電話の交換台の担当者が上層部に通告し、田村さんは解雇されてしまったのです。

憶測では、当時の電話の近くにいた女性陣の嫉妬を買っていたのでは?と言われています。

山口洋子ママが田村順子の噂を聞き経営するクラブ「姫」にスカウト

日本楽器を解雇された田村順子さんですが、その後は伝説のクラブ「姫」を経営する山口洋子さんにスカウトされる形で「姫」に入店しました。

元々、洋子ママは田村さんのことを気に入っており、随分と前から目をつけていたのです。

「姫」に入店した田村さんは、たちまち「姫」のナンバー1となり、銀座にその名を轟かせるようになりました。

田村さんの素晴らしさは売上だけでなく、その勤務態度の良さです。

なんとNo. 1でありながらも無遅刻、無欠席を続け、6カ月連続で同伴出勤という当時の「記録」を打ち立てたのです。

その努力が認められ、入店時は2800円だった日給が、二年後には1万2000円にまで上昇。

当時の大卒の公務員初任給が月給2万円だったことを考えると、田村さんの日給がいかに凄まじいかがわかります。

田村順子と芸能界。なかにし礼さんとは純愛だった?

銀座で最も有名な女性となっていた田村順子さん。

当時は芸能界や政界のお客様も多くいたそうです。

その中でも、田村順子さんが若い頃に真剣に愛したのが、当時、小説家・作家として日本のトップに君臨していた、なかにし礼さんです。

田村順子となかにし礼さんの関係は、芸能記者までもが注目し、その恋模様は一般市民までもが関心を抱いていました。

なかにし礼は28歳の頃に「姫」で田村順子と出会う

なかにし礼さんは28歳の時に、川内康範氏に連れられて初めて銀座のクラブに行き、そこで田村順子さんに出会いました。

当初、二人疑似恋愛のようなありがりな関係になり、その後は本当に恋仲になったのでは?と週刊誌の報じられたのです。

今でも2人の恋の真相について知りたい人が多いですが、お互いに別の方と結婚したということで、その真相は謎のままです。

田村順子の旦那は俳優・和田浩治。バツイチで再婚

田村順子さんの夫は俳優の和田浩治でした。

和田浩治さんは日活入社後に石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎と共にダイヤモンドラインとして売出し、アクション映画、青春映画の他大巨獣ガッパなどに出演し活躍した俳優です。

日活退社後も時代劇「大岡越前」の風間駿介役を演じるなど、時代劇を中心に活躍されました。

名前 和田浩治
生年月日 1944年1月28日
出身地 茨城県水戸市
最終学歴 東洋音楽学校声楽科(現在の東京音楽大学)
職業 俳優
命日 1986年7月6日

バツイチの和田浩治と結婚。亡くなる最後まで夫婦生活は続いた

和田浩治さんは、歌手で女優の梓みちよさんと1971年に結婚しますが、翌1972年に離婚し、1974年に田村順子さんと再婚しました。

田村順子さんは夫・和田さんより3歳年上の"姐さん女房"でした。

結婚を果たした俳優の和田浩治さんは、田村順子にべったりしていたらしく、夫婦仲は良かったそうです。

和田さんは1986年7月6日に42歳の若さで死去。

死因は胃がんでした。

亡くなる最後まで田村順子さんとの結婚生活は続き、最後も田村さんが和田さんを看取りました。

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