2000年代後半にギャル系雑誌「小悪魔アゲハ」で活躍したモデルの純恋(スミレ)さん。
彼女は2009年6月11日に21歳の若さで急死しました。
亡くなって長い歳月が経ちますが、彼女が残したネット上のアカウントには、未だに多くのメッセージが更新され続けています。
生前はビジュアルの良さが評判だった彼女ですが、それ以上に人間性が素晴らしく、ファンだけでなく身内や友人からも愛される存在だったのです。
今日は、純恋さんの突然の悲劇と、彼女の美しい生き様や影響について書いて見たいと思います。
デザイナーの夢を抱えた人気モデル。中学時代からボランディアに励む
純恋さんは岩手県出身のモデル兼デザイナーです。
家族構成は産婦人科に勤める母と兄、そして純恋さんという、母子家庭の3人家族でした。
母親の仕事の影響で、小さい頃から障害児の誕生を目の当たりにしており、人それぞれの個性に寛大な性格を培いました。
中学生の頃には母親の仕事の影響で福祉施設でボランディア活動に励むなど、若くして献身的で優しい一面を覗かせていました。
芸名 | 純恋(すみれ) |
本名 | 石川安里沙(ありさ) |
生年月日 | 1987年7月28日 |
没日 | 2009年6月11日 |
出身地 | 岩手県胆沢郡胆沢町 (現・奥州市) 出身 |
血液型 | A型 |
身長 | 156センチ |
職業 | デザイナー。モデル。元夜職。 |
出身小学校 | 胆沢町立南都田小学校(現・奥州市立南都田小学校) |
出身中学校 | 胆沢町立南都田中学校(現・奥州市立胆沢中学校) |
出身高校 | 水沢第一高等学校 |
最終学歴 | 宮城県仙台市のモデル育成専門学校 |
貯金のために働いたお店でスカウトされ人気モデルに!
高校生の頃からデザイナーを夢見て、高校卒業後(20歳)は資金集めのために地元の飲食店に勤め貯金に励みました。
仙台市内の飲食店で源氏名「純恋」で働きましたが、由来は湘南乃風の楽曲『純恋歌』でした。
勤務後、純恋さんはすぐに店のNo.1となり、たまたまる店に来た『小悪魔ageha』の編集者の目に留り、同雑誌で読者モデルとして活動を開始しました。
純恋さんはモデル活動がデザイナーとしての近道と考え、モデル業も真面目に取り組み、その結果モデルとしてもすぐに人気者となりました。
2008年には人気モデルの早川沙世さん、市倉利紗らと共にモバイルブランド『DIVAS』を立ち上げ、プロデュースを行うなど、夢のデザイナーとしての道を切り開きました。
夢のデザイナーとして駆け出した時期に脳出血で死去
2008年にモバイルブランドのプロデュースを行い、夢のデザイナーに近づいていた純恋さん。
2009年には地元から上京し、夜食と兼用して専属モデルの仕事に励みました。
私生活では夜界隈のカリスマ・岸田直樹さんと恋の噂がネット上から出るなど、知名度は着実に広がっていました。
しかし、上京後に体調不良によりモデルと夜職の両立が困難になり、夜職は退職。
上京した同年2009年の6月2日のブログの投稿(生前最後の投稿)では、地元に戻って休養してると綴っていました。
そして、6月10日にこれまで真面目に時間を厳守していた彼女が、初めて『小悪魔ageha』の撮影を無断で欠勤し、心配した関係者が自宅を訪問したところ、自宅マンションで亡くなっているのが発見されたのです。
彼女の急死は雑誌ファンや夜界隈に衝撃を与え、各所で彼女を追悼する声が出ました。
純恋の死因は脳出血。直前に病院に行くも「ストレス」や「片頭痛」と診断
2009年6月11日に脳出血で亡くなった純恋さん。
あまりの突然の死に、「何か予兆はなかったの?」との疑問の声も多くありました。
実は純恋さんは2009年に入ってから頭痛などの体調不良に悩まされ、仕事でもモデルの命である化粧道具を忘れてしまうなど物忘れが激しくなっていたそうです。
2009年の5月には病院から処方された薬を飲んでも回復しないほどに頭痛が悪化し、この頃に多くの病院で診察してもらっていましたが、どの病院でも「ストレスが原因」「片頭痛」と診断されのみだったのです。
純恋は亡くなる4日前にネックレスを完成。死後に友人らが資金を集め追悼花火を上げる
純恋さんは6月10日に雑誌の仕事に現れず、心配した関係者が自宅に行った時点で呼吸をしておらず。翌日11日に死亡宣告がされました。
実は、亡くなる4日までに、自身がデザインを手掛けるネックレスを完成させており、彼女は頭痛で苦しい状況でも最後まで仕事を全うしていたのです。
純恋さんの死後、亡くなる4日前に完成したネックレスの存在が知れ渡り、大きな反響を呼びました。
そもそも純恋さんがデザインしたネックレスは”子供たちの支援に役立てたい”と、収益は難病の子供たちを支援する財団法人日本児童家庭文化協会に寄付される予定だったのです。
ちなみにハート形の二つの手錠が組み合わさったネックレスは、「絆(きずな)」という意味で、生前に人を大切にしていた純恋さんを象徴するようなデザインとなっています。
ネックレスは4色で値段は4980円でしたが、発売後はどのカラーもたくさんは売れました。
2011年に東日本大震災が起きた後もネックレスを増産し、利益を被災地域の障害者と子育て世帯への寄付金に充てました。
純恋の友人が資金を出し合い地元奥州市水沢で追悼の花火を上げる
純恋さんの死後、同業者の早川沙世さんなど著名なモデルたちが彼女のことを追悼しました。
また、純恋さんの地元の友人らは、彼女を追悼しようと地元奥州市水沢の花火大会で資金を出し合い、追悼の意味を込めた花火を打ち上げました。
そして、地上波の人気番組『ザ!世界仰天ニュース』の2009年10月7日放送回で、純恋さんの生き様と脳出血の怖さの特集が組まれ、多くの人が彼女のことを知りました。
亡くなって長い歳月が経った今で、残されたブログのコメント欄に毎年コメントが書き込まれるなど、彼女のことを忘れられない方が未だに大勢います。