光宗薫さんといえば、神戸コレクションモデルオーディションでグランプリを受賞し、その後にAKBに加入したことで知られます。
現在までに、モデル、女優、絵画アーティストとして活動されています。
今では主に画家として活動されている光宗薫さんですが、ある時期に病気を公表して話題になりました。
昔から体の線が極端に細かったことから、病気が疑われ、病気が公表された際には「やっぱり」の声。
今日は光宗薫さんの病気と、若い頃の活動について書いてみたいと思います。
光宗薫の病的な細さ。拒食症と精神的ダメージ
光宗薫さんは2011年に16歳の若さで神戸コレクションモデルオーディションでグランプリを受賞。
その後にAKBの活動に参加したことで知られます。
生まれは愛媛県ですが、親が転勤族なために神奈川、広島、千葉など多くの県に移り住んでいたようです。
育ちは大阪府と公表してるので、一番長く住んで愛着があるのが大阪だと思われます。
本名 | 光宗薫(読み:みつむね) |
出身地 | 愛媛県 |
生年月日 | 1993年4月26日 |
育ち | 大阪府 |
血液型 | 0型 |
身長 | 168センチ |
職業 | モデル。アイドル。画家。 |
光宗薫は10代からの摂食障害・強迫的な症状を公表
168cmと背の高い光宗薫さんですが、AKB研究生時代から体の線が極端に細く、当時から拒食症が疑われていました。
当時、体重30kg台なのでは?との噂もありました。
美人でありながらもファンが増えないことを気にしてか、意識的にわざと太ったこともあったほどです。
AKBの活動を辞退した後の2016年に出演したテレビ番組「さんま御殿」では、病的な食生活を告白し話題となりました。
本人いわく食に興味がなく「本当に動物園のゴリラと同じ食生活してて、りんご1個とか」とりんご1つしか食べない日もあるそう。
また、食べるのはキャベツやりんごのように調理せず生で食べられるものが中心なため、冬は使わないために冷蔵庫の電源も切りっぱなしだそうです。
「体が壊れてるのでは?」と言われた矢先、翌年の2017年活動を休止を発表しました。
突然ではありますが、2017年10月より芸能活動を休止致します。今日までの約6年間、多くの経験をさせていただきました。
私は10代の頃から摂食障害、強迫的な症状に悩んでおり、一時的に拘束してもらわなければ生活が儘ならない状態を繰り返しています。ですが様々な表現に携わるこの仕事を続けたいという私の強い希望の下、周りの方々にサポートしていただき現在まで続けることが出来ていました。
それでも近年は状態が落ち着かず、強い気持ちを持つ程バランスが取れなくなり好きな活動も徐々に辛いだけのものに変わっていました。
そこで、再び愛を持って活動が出来るまでお休みをいただく事に決めました。
応援して下さった方々に感謝します。この先も、よろしくお願い致します。
拒食症などが噂されていた光宗さんですが、その後のインタビューで17歳から過食嘔吐を繰り返していたことを告白しています。
原因は自己嫌悪が行き過ぎで、拒食と過食、過食嘔吐を何度も繰り返していたとのことです。
病気で休んでる期間に画家として覚醒?
2017年に活動休止していた光宗さんですが、2018年9月5日に自身のツイッターで活動再開を報告。
その後は主にアート画家としての活動が中心となりました。
光宗さんは画家になった後のインタビューで、実家に引きこもり、ペンばかり握っていた時期について触れていました。
20歳の頃に体調不良から芸能活動を休止して、実家の一室に引きこもる生活が1年ほどありました。部屋から出ない。テレビを見ない。携帯電話も解約して、とにかく人を感じたくなかった。一人きりになった時にボールペンを使って絵を描き始めたんです。どうしてだろう? そこだけに私の感情がぶつけられたんです。部屋で座りながら、一日中ずっと無心で描いていました。
ある作品では、その辛かった時代を投影した3匹の鬼の絵がありましたが、それは摂食障害、過食、過食嘔吐(おうと)を表していたなど、休暇中の苦しみは相当だったと想像できます。
そのような作品が描けるようななった現在は、当時の自分を客観視できるようになり、心の整理ができているとのことなので、今では状況はずっと良くなっているようです。
光宗薫のAKB時代。スーパー研究生としてデビューも挫折
若い頃の光宗薫さんはAKB48に所属していまた。
AKB加入当時は、”スーパー研究生”として話題になっていました。
圧倒的な美貌と、関西仕込みのトーク力から、デビュー当初から世間から注目されていました。
しかし、当初から研究生らしくない仕事ぶりからは、オーガニックなAKBファンからは特殊な目で見られていました。
光宗薫さんは絵が上手く、発言もユニーク、さらにはドラマなどで見せる演技がうまい・・・、何よりシュッと綺麗なシルエットに整った顔立ちは、良くも悪くもAKBでは浮いていました。
一般人層からの期待とは裏腹に、グループを追いかけるファンからの支持は低く、メディア出演などを決める総選挙の結果は大敗でした。
ある年の総選挙では、泣き崩れて動けなくなるほど落ち込んでいました。
光宗薫はAKBの活動を辞退。総選挙では圏外で号泣
AKBに加入してすぐにグラビアやドラマ出演など順風満帆な活動をしていた光宗薫さん。
しかし、2012年6月7日に行われた第4回総選挙では圏外という結果でした。
総選挙の2ヶ月後に予定されていた『AKB48 in TOKYO DOME 〜1830mの夢〜』公演への参加を体調不良を理由に辞退。
同ライブの初日公演において、正規メンバーへの昇格並びに新体制移行後のチームKに配属される予定であることが発表されるも、同年10月24日にAKB48での活動を辞退することを発表したのです。
スーパー研究生として期待された光宗さんのAKB48での活動はわずか10か月で幕を閉じました。
この当時から、光宗さんの健康面やメンタル面の脆さが垣間見られ、その後に病気を抱えたことを発表した際に納得の声が多くあったのです。
AKBでは成功しなかったもののコアなファンも多くいた
アイドルとしての彼女は大成しませんでしたが、AKB時代から「王子のよう」だと、女性から評判でした。
光宗薫さんの一時期の気取った王子のようなキャラは人気でした。
AKBをやめてから徐々にイメージは変わっていき、流行りのショートヘアのように前髪を流したり、
大人っぽくシックな黒髪に染めたり、モデル時代に戻っていきました。
イケメン風の女性が好きな女性からは支持されていましたが、やはり未完成の女の子を好む層が大半だったAKBグループで勝つことは難しかったということです。