2019年の初選抜出場を決めた神奈川の強豪・桐蔭学園。

おじさんの甲子園ファンは高橋由伸さんと高木大成さんが甲子園で活躍した時期で記憶が止まってるかもしれないですね。

地元の神奈川では善戦してる年もありますが、まさかの公立に敗れる悲しいドラマがあったりと、今後再び甲子園に行くとは想定外でした。

由伸世代などの桐蔭学園の全盛期を支えた土屋監督はすでに退任しており、2017年までは大川監督にバトンタッチされていました。

大川監督が成績不振で退任されると、今後はずっと部長として野球部を支えていた片桐さんが監督に就任しました。

片桐監督に変わってからの桐蔭学園はまるで別のチームになったように息を吹き返し、昨年2018年は夏も秋も好成績を残しました。

桐蔭学園の新時代を作っている片桐監督とは、どのような方なのでしょうか?

片桐健一監督のプロフィール

名前:片桐健一(かたぎり けんいち)
生年月日:1973年8月21日
血液型:AB型
出身高校:桐蔭学園(野球部内野手)
出身大学:日本体育大学
指導歴:監督2008〜2009、2017〜

片桐健一の経歴。桐蔭学園野球部の全盛期を知る者

桐蔭学園の学生時代は1991年に高橋由伸氏、高木大成氏らと共に甲子園に出場。桐蔭学園の全盛期を肌で知っている男です。

ちなみに片桐監督の学生時代のプロフィールは、

身長:177センチ
体重:71キロ
ポジション:サード
投打:右右
あだ名:ケン
好きな教科:現代国語
好きな芸能人:渡辺満里奈
好きな食べ物:寿司
趣味:読書

とても高校生とは思えないプロフィールですね・・・若い時から渋い男だったみたいです。男前で素敵ですね!

片桐さんは部長として長く桐蔭学園野球部を支えており、2007年から2年間だけ監督を務め部長に戻るという高校野球では珍しい人事を経験してます。

2009年の神奈川の夏に決勝に進んだメンバーは、片桐さんが2年間育てた選手たちの集大成でありました。(結果的には復帰した土屋監督の手柄だけだと思われてますが違います)

選手時代にはスター軍団の1員でありながらも甲子園で不運の敗退。指導者としては一時監督を務めた時期は良い選手をうまく育てましたが、教え子の3年時に部長に戻るなどして、常にあと一歩で栄光を逃してるような経歴です。

大川監督から片桐監督に変わってからの桐蔭学園

大川監督から片桐監督に変わった理由には成績不振などがありましたが、実際には大川監督も夏ベスト4を2回経験するなど、神奈川にして良い内容でした。

しかし、いきなり戸塚高校に敗れるなど、番狂せを浴びるなど屈辱的な敗北が目立っていました。

昨年の2018年の夏から片桐監督に変わると、夏では北神奈川でベスト8、秋の大会では準優勝、関東大会では優勝と、分かりやすく好成績を残しています。

片桐監督が手を教えた時間が長ければ長いほどに成績が伸びてる印象です。

過去に2007年から監督として育てた選手が決勝まで進んだ背景をみると、選手を育てるのが非常にうまい監督さんだと言えます。

意外な教え子・中山貴大

まだまだ監督としての経歴が短い片桐監督ですが、過去に2007年から育てた教え子の中に、意外な著名人がいます。

その方とは、シンガーソングライターの「中山貴大(なかやま きだい)」さんです。

中山貴大さんは、あの「別れても好きな人」で有名な歌手・シルヴィアさんの息子さんです。

2007年から2009年までの片桐さんカラーの桐蔭学園野球部に在籍し、3年間ほとんど家に帰らずに野球に熱中していました。卒業した後も野球に関わり続けました。

歌手として活躍する現在も、草野球などで野球の楽しさを味わっているみたいです。

母のシルヴィアさんは2010年の11月に死去されています。

「別れても好きな人」などで知られるムード歌謡グループ、ロス・インディオス&シルヴィアの元ボーカルで歌手のシルヴィア(本名・松田理恵子)さん(52)が28日午後1時3分、肺がんのため東京都港区の病院で死去した。葬儀は近親者による密葬で行う。喪主は長男の中山貴大(なかやま・きだい)氏。後日、お別れの会を開く。

約1年半にわたる闘病生活の末、デュエットの女王が世を去った。

関係者によると、前夫のフリープロデューサー(55)と、一人息子の長男が連日、病床に付き添い、献身的な看護を続けていた。まさに、「別れても好きな人」の歌詞通りの愛情に包まれた中での最期だった。引用元:夕刊フジ

シルヴィアさんの癌が発覚したのは2009年の5月のことでした。まだ中山さんが桐蔭野球部に在籍してた時期です。きっと気持ちを整理するのも大変な時期です。なんせずっと寮生活で母の顔が全く見れてなかったのですから。

母と同じ歌手になった今、母のようにブレイクはしていませんが、素敵な曲をたくさん作ってます。そして母譲りの歌唱力は凄まじいものがあります。

個人的には「グローブ」という曲が一番好きです。これは高校3年の最後の夏の思い出と、母の思い出を重ねた曲です。野球で挫折した人、母親に支えられた人なら涙せずには聴いていられない名曲です。

後半の歌詞の、

「目指すのは甲子園 もう後一歩だと思っていた」

「最後の夏 僕の名前は呼ばれないまま幕を閉じた」

「悔しさよりも 申し訳なさで」

強豪校でベンチに入れなかった選手の気持ち、親に申し訳ない気持ち、決勝まで行ってまさかの横浜隼人にサヨナラ負けした悔しさ、色んな気持ちが交錯した歌詞は感動そのものです。

普通に考えたら、野球のことを考えるのも嫌になりそうな経験に思えますが、いまでも野球に関わって楽しそうにできているのも、3年間教えてくれた片桐監督の人柄が良かった証拠だと思います。

甲子園に行くこと、プロ野球選手になることだけが球児の明るい未来でないことは確かです。

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