高野光(ヤクルト)の死因。転落事故ではない!嫁と娘。理由は仕事の進路

かつてヤクルトにはルーキーながら開幕投手を任された方がいました。

その投手の名前とは高野光投手です。

長身から繰り出される150キロ近いボールは、打者にとって驚異的。

高野投手自身も速球だけなら誰にも負けないと自信を持っていました。

しかし、高野投手は故障に悩まされ引退。

引退後は台湾、韓国と投手コーチを勤めますが、2000年のオフシーズンに急遽、自殺という形で亡くなってしまいました。

今回は高野投手の凄さと、亡くなった当時のことについて書いてみたいと思います。

高野光は新人で開幕投手&10勝。ホップする直球と謙虚な人柄

高野光さんは東京都江東区出身のプロ野球選手です。

高校時代は東海大浦安で甲子園ベスト4の活躍をし、その後に東海大学でも2年連続の神宮大会優勝に貢献するなどしました。

1983年ドラフト1位で、東海大学からヤクルトに入団すると、ルーキーイヤーの同年に開幕投手を務め、いきなり10勝をマークする活躍を見せました。

名前 高野光(読み:たかのひかり)
生年月日 1961年5月20日
死去日 2000年11月5日
出身地 東京都江東区
出身高校 東海大浦安
出身大学 東海大学
身長 187センチ
体重 85キロ
所属歴 ヤクルト→ダイエー(ホークス)
コーチ歴 オリックス→台湾→韓国

怪我に泣かされ引退。素質は歴代のピッチャーの中でNo. 1の呼び声

投手としての才能・ポテンシャルは球界の中でもトップを争うほどの逸材だと言われていた高野光さん。

12勝を挙げた1986年にはオールスターに出場するなど、順調にキャリアを積んでいました。

以降、順調なプロ野球生活を送っていましたが、1989年に右ひじを故障すると、長く険しいリハビリ生活を送ることになります。

野村克也監督時代の'92年4月に見事にカムバックし、1076日ぶりの復活勝利を挙げると、この年は7勝を記録し、14年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献しました。

しかし、1994年にはホークスに移籍し、実績を残せないまま引退。

プロの通算成績は182試合51勝55敗13セーブ防御率4・08でした。

95年にオリックス2軍投手コーチに就任しますが、98年にはオリックスを退団。

99年に台湾三商タイガースの投手コーチ就任しますが、台湾の大地震の影響でチームは解散。

00年に韓国プロ野球現在ユニコーンズの臨時投手コーチ就任しますが、オフに自宅マンションかた飛び降り自殺をし、39年で生涯を終えてしまいました。

高野光の死因は自宅マンションからのの飛び降り自殺。転落事故

高野光さんは不運な故障がなければ、80年代を代表する日本球界のエースになっていたと言われています。

オリックスの2軍投手コーチに就任し、そのコーチ時代はオリックスの2年連続リーグ優勝に貢献するなど指導力にも定評がありました。

投手コーチとしてのキャリアも順調だと思われていましたが、その後オリックスの勢いは低迷し、98年にはオリックスを退団されました。

その後は台湾、韓国と東洋アジアの球界を渡り歩き、2000年のシーズンオフにマンションから飛び降りでなくなってしまいました。

嫁と娘と夜ご飯を食べた後にベランダから飛び降りる

高野光さんが亡くなったのは2000年の11月5日のことでした。

その日は東京都豊島区にある自宅マンションで、嫁と娘さんと夜ご飯を食べていました。

食事が終わった後の深夜に悲劇が起きました。

高野さんは寝る直前になって突然、妻の由紀(ゆき)制止を振り切って、マンション7階のベランダから飛び降りてしまったのです。

元ヤクルトのエース高野光さん(39)が東京都豊島区の自宅マンションから飛び降り、死亡していたことが6日、明らかになった。警視庁目白署の調べによると、5日午後11時45分ごろ、7階の窓から家族の制止を振り切るように飛び降りた。目白署は自殺と断定した。遺書はなかった。高野さんは1983年(昭和58年)、ドラフト1位でヤクルトに入団。1年目に開幕投手を務め10勝するなど、チームの主力投手として活躍した。現役引退後はオリックスや韓国、台湾でコーチをしていたが、最近は野球にかかわる仕事に出合えず悩んでいたという。

衝動的だったという話ではありますが、19歳の目撃者の証言だと、夫婦で言い争いをしてるように見えたそうです。

110番は10歳の娘がしたという痛々しい状況です。早すぎる別れを受け入れることはできたのでしょうか。

進路の悩みが理由?

 実は高野さんは自殺した当日に東海大時代の恩師である野球部の監督・岩井美樹さんに電話していたのです。

さらに大学時代の1年後輩で横浜ベイスターズで長谷川国利スカウトにも電話、その方とは久々の電話だったので最後の別れの意味もあったのかもしれません。

実家の江東区の土地にマンションを建てたが資金難になり手放したり、経済的に楽ではなかったそうです。飲食をやろうかと話していたこともあったそうです。

実は仕事が決まっていた?

高野さんが死を選ぶ前に電話した東海大学時代の監督、岩井美樹氏。

実は就職の件で相談を受けた際には、

「電話をもらってすぐ、こちらのツテで世界少年野球教室の指導者として月に20万円くらいの仕事をさせる段取りを始めていた。私は大学の就職担当ですから、普通に務める仕事も紹介するつもりでした。だから、一度会いに来てくれれば…」

と、安月給ながらも、野球関連の仕事が決まっていたことが明らかになっていました。さらにはその仕事の他にも一般職も紹介するつもりだったそうです。

さらに驚くこと、某プロ野球球団が高野さんに仕事を振ろうとしていたそうです。

 「実は、ある球団で高野さんに仕事をしてもらおうという話が持ち上がっていたんです。今さら、どこだと言ってしまうと、責任を追及されてしまう人も出てきますから、それ以上はいえませんが…」

冷静になって待っていれば、最悪の事態は防げたのかもしれないのに。色々と悔やまれます。

韓国から帰国後に精神疾患を発症していた

実は高野さんは韓国プロ野球のユニコーンズの投手コーチに就任していましたが、春先まででした。韓国から帰国後に、精神的にかなり追い詰められ病を発症していたそうです。

韓国で一体何があったのでしょうか?

韓国云々ではなくて、純粋に進路、就職に対する不安の大きさが理由だと思いますが。

高野光さんへの追悼コメント

野村監督「突然のことで大変驚いている。はっきりしたことが分からないのですが、今はただごめい福をお祈りするだけです。」

古田敦也「突然のことでビックリしています。信じられません。一緒にやっていたころは、主戦投手で活躍されていました。後輩の面倒見も良くて、いい先輩でした。ショックです。」

巨人・原「なんと言っていいか……。言葉が見当たらない。礼儀正しくて、いい後輩だった。三振をよく取られたけどホームランも打たせてもらった」一報を聞いた際は「どうしてなんだ!」と叫んだそう。

長嶋茂雄「えっ、今日はテレビは何も見てないから、知らないんだよ。高野というピッチャーはよく覚えてますよ。いいピッチャーというイメージがある。トラブルか何かかなあ。んー驚いた。」

王貞治「大きくて角度のあるいい球を放っていた。ただただごめい福をお祈りするとしか言いようがない。」

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