池村英樹監督は高校野球ファンの間で知られているのか、無名なのかよくわかりません。

仮に知ってたとしても良いイメージなのか、悪いイメージなのかもわかりません。

個人的には小学生の頃にテレビで見た那覇高校を率いた方として、とても印象が良いです。

子供の頃に打撃戦や速球投手の奪三振ショー以外の野球で、あそこまで魅入られた試合は初めてでした。

超個性的な那覇高校で旋風を巻き起こす

2000年の夏に沖縄代表として出場した那覇高校。初出場ながらも超個性チームで勝ち上がり話題となりました。

サウスポーのキャッチャーとサード。

体を縮こませて構える打法など、野球の常識を覆しました。

「ダンゴムシ打法」と言われる比嘉選手の構え。

いまだに高校野球ファンであの構えの真似をする方がいます。

こういうチームが誕生した背景には、池村監督の力があったのは当然のことです。

自由な野球を求めた結果だったみたいです。

好きなポジションを守れば良い、好きなように打てば良い。こういう指導が甲子園に行くような高校の監督で出来るのかと驚きです。

平成を代表する個性派集団であったことは間違いないですし、そのチームを作った池村監督の野球の面白さは本物です。

しかし、池村監督はこの甲子園での旋風の後に学校側から退任させられたそうです。この件に関してはOBらの反対があったとか詳しいことはわかっていませんが、教え子たちは池村監督が去ることに不満があったそうです。

池村英樹監督の死因は脳出血?

池村監督が死去されたことは大きなニュースにはなりませんでした。

死去されたのは2014年の2月13日の午前8時でした。

まだ43歳の若さで亡くなられました。

病気で癒養中に亡くなられたそうですが、それが入院した病院なのか自宅なのか、その詳細は明らかになっていません。

死因は事故や事件性のあることではなく、病気であることには間違いないです。正式なソースではないですが、脳出血などの憶測があります。

告別式は同年2013年の2月15日でした。多くの教え子たちが式に来て涙を流したそうです。

間違いなく名将である池村監督が最後まで誤解された形で、本当に悔しかったと思います。

山陽高校(岡山)での不祥事

池村監督は那覇高校の後には、岡山県の山陽高校にて野球部監督に就任しました。

当時荒れてた野球部ではいじめ、喫煙、窃盗などが横行しており、池村監督は指導の一環として選手を殴り、逮捕されてしまいました。2005年のことでした。

岡山県浅口市のおかやま山陽高校で05年6月、野球部員に暴行を加え、全裸での
ランニングを強要したとして、暴行と強要の罪に問われた野球部元監督の池村英樹
被告(35)の初公判が23日、岡山地裁倉敷支部(樋上慎二裁判官)であった。

池村被告は「全裸ランニングの指示に従わねば暴行されるというような恐怖を部員に
与えたことはない」などと述べ、強要の起訴事実を否認、暴行についても一部
否認した。

起訴状によると、池村被告は05年6月上旬、同校グラウンドで、メンタルトレーニングと
称して、部員に全裸でのランニングを強要したほか、同年6月上旬~8月中旬に部員
5人の顔を殴るなどしたとされる。引用:アサヒ

当時の池村監督は山陽高校とは「4年以内に甲子園出場を果たさなければ、解任」という契約でした。

ランニングの件に関しては過去に池村監督が営業職として沖縄で働き悩んでいたころに、離島で服を脱ぎ裸で海を泳いでみたところ「自分はなぜ、こんなことで悩んでいたのだろう、と一皮むけた思いがした」として、教育の一環に取り入れたそうです。

自由な発想で知られる池村監督らしい指導ですが、その荒れた野球部の部員たちには届かなかったみたいです。

後に「ホームレス理事長 退学球児再生計画」では、逆恨みされる形であったと告白し、さらには自殺まで考えたと語っています。

そのドキュメントの後に当時のプロジェクトから名前が無くなってたそうですが、具体的な理由はわかりません。

甲子園に導いた那覇高校では謎の解任。山陽高校では逆恨み、その後も不運が続いたような印象です。

今、ネット上でも池村監督の情報は少ないです。

間違いなく、記録には残らないが、記憶に残った監督さんだったと思います。

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