内田恭子は若い頃にストーカー被害。職場や自宅に犯人が付き纏う恐怖体験

フリーアナウンサーの内田恭子さんといえば、かつてのフジテレビの看板アナウンサーでした。

アナウンサー人気の元祖であり、全盛期は下手はアイドルよりも需要があり、担当する番組の視聴率にも貢献していたほどです。

持ち前の美貌と知性から多くの男性ファンを取り囲みましたが、当時は人に言えない苦労も多かったそうです。

2017年頃に、若い頃にストーカー被害に遭っていた過去を告白し大きな話題となりました。

今日は内田恭子さんが遭っていた恐怖のストーカー被害について書いてみたいと思います。

内田恭子の若い頃の美しさ。人気はアイドル以上?

内田恭子さんは、アナウンサーブームの火付けの親です。

帰国子女で英語が万能な上に、慶應義塾大学の商学部を卒業するという才女です。

名前 内田恭子
出身地 神奈川県横浜市港北区
生年月日 1976年6月9日
出身大学 慶應義塾大学商学部
血液型 A型

大学生の頃から一際目立った美しさを放ち、大学でも有名な存在でした。

フジテレビに入社した当初はフィールドキャスターも務め、報道の分野で経験を積むなど、美貌だけでなく能力的にも期待される逸材でした。

2002年の第18回FNSアナウンス大賞新人部門部門を受賞するなど、入社当時から将来のエースアナウンサーになる前触れがありました。

内田恭子の全盛期の人気。浜田雅功のマネージャーと結婚

内田恭子さんの人気の絶頂は2003年頃から結婚した2006年頃までです。

当時のフジテレビで人気の番組の多くは内田恭子さんが出演し華を添えました。

アナウンサーに興味ない人でも、内田恭子さんのことだけは絶対に知っているような状態で、その知名度は全国区でした。

「うっちー」の愛称で親しまれ、男性だけでなく、女性や老人にまで愛されました。

冗談のキツいお笑い番組でも笑顔で頑張り、真面目な番組でもスタジオの雰囲気を整えるような気品を持ちました。

2006年7月には2003年春から交際していたの吉本興業社員で浜田雅功(ダウンタウン)の元マネージャー木本公敏さんと結婚

アナウンサーが大物タレントの元マネージャーと結婚するのは異例で、これも内田恭子さん独自の人徳だったと言えます。

結婚を機にフジテレビを退社し、出産後に復帰した際には「見ていてホッとする日本の顔」としてフリーとしても歓迎されました。

内田恭子のストーカー被害。男が職場や自宅に現れる

過去の逸話には、熱狂的なファンのエピソードが多くありますが、人気絶頂であった2005年頃には深刻なストーカー被害に遭っていました。

2017年1月に出演したテレビ番組「爆報!THE・フライデー」の中で、局のスタジオ内にまで、ファンのストーカーが歩み寄ってきた過去を話しました。

生放送番組「すぽると」に出演していた際、ストーカーが生放送中のスタジオまで入り込み、そこでスタッフらと談笑していたそうです。

これだけでも十分に恐怖ですが、ストーカーの行為はそれ以上に酷く、なんと周囲のスタッフや先輩の三宅さんに「今度内田と結婚することになった者です。」と勝手に挨拶を始め、帰ろう!」と内田さんの腕を引っ張ったのです。

そこで内田恭子さんは悲鳴をあげ、異変に気付いたスタッフが助け、すぐに通報し警察に引き渡したとのことです。

そのストーカーはなぜか局に入るパスを持っており、そのパスを持っていたことで逮捕することができなかったというから驚きです。

内田恭子の自宅マンションのインターホンに手紙を貼り付けたストーカーもいた

スタジオに乱入したストーカーの他にも、過激なストーカーがいたそうです。

内田恭子さんが当時住んでいたマンションはオートロック式で安全だったそうですが、そのインターホンに、内田さん宛ての手紙が張ったあったそうです。

手紙には「美味しいものを買ってくるね」と書かれいていたそう。

内田さん曰く、「妄想の世界ですけど、一緒に住んでいる設定になってて。何々買ってくるからちょっと待っててねって」との行為が続いてたとのことです。

ストーカーが自分の自宅を把握し、出入りまで見守っていたと想像すると恐怖ですよね。

内田さんはすぐに警察に通報したそうですが、それから結婚して退社するまでの間は同局の先輩である三宅正治アナウンサーに自宅まで送ってもらっていたとのことです。

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